先日、釣りをした後にふと思い出した話です。
私が生まれ育った霞ヶ浦からそう遠くない家の庭の隅に、両腕で抱えられるか抱えられないかぐらいの水槽が7つ、8つ2段重ねに置いてありました。
水槽の中には金魚や、霞ヶ浦水系で獲た川魚などが入っていました。
その内のある1つの水槽の1ぴきのコイが強く印象に残っています。
私が小学生3,4年生だったと思いますが、通学前友達を待っているあいだ、そのコイをよく眺めていました。そのコイは水槽とほぼ同じ大きさであるためにターン出来ず、いつも同じ方向を向いていました。いまでいう動物虐待であります。コイは私を見ているのか、外を見ているのかどっちかわからない不思議な目をしていた記憶があります。その眼を見るのが好きだったのだと思います。
ある日いつも通り下校時たっぷり道草を食った後夕食にありつくと、その日の夕食は鯉こくでした、私の父は、趣味が投網であり、よく川魚料理が食卓ならんでおりました。いつもと変わらない、何も変わらない夕食、だがその日お皿にのった鯉こく、なんかサイズ的に引っかかるものがあり、私は箸を置きいつも朝見ているコイの水槽のところに行きました。水槽にコイはいませんでした。私は父に何も言いませんでした。前にも似たようなことがありましたから。子供心にコイに名前付けなくてよかったーと思ったことを思い出しました。
そしてなぜこのことを思い出したのかということをいまからご説明いたします。
一昨年末私は連日霞ヶ浦にて、ワカサギ釣りをしていました。その時に獲たワカサギは時期もよかったのか、身がほわーっとしたメレンゲのような舌触りで、ほんのりと甘みがありとても美味しかったのです。ある日、一人で食べきれないほどワカサギが大漁に釣れました。なので私は、身体が衰えまともに釣りもできない父のところへワカサギを持っていきました。
私〝オヤジー わかさぎ持ってきたよー″
父〝おー きれいだなー″
私〝生きてるうちに天ぷらにするとすごくおいしいから″
父〝なんだか食べるのかわいそうだなー″
私は、まだ生きているワカサギのはいったバケツを父の住んでいる家の玄関に置いて自宅へ戻りました。