「お墓」について考えてみました

先日、豊清工業の先代の7回忌でした。
東日本大震災の年に亡くなったのでもう6年です。
早いもんですね。

今回、7回忌でお墓参りに行き、お墓について改めて考えてみました。
私は以前より「お墓は不要」という考えを持っています。
その理由は、いずれお墓の面倒を見る人がいなくなる、ためです。
人口が増加し続けている時代ならまだしも、減少していく昨今、お墓を守り続けるのは不可能だと思っています。
私の家を例に挙げると、私の両親は、私の大反対を押し切って数年前にお墓を購入しました。
(この世代の人はどうしても自分のお墓が欲しいようです…)
私の子供まではなんとかお墓の面倒を見るとは思いますが、その子供達(私からすると孫)が面倒を見ることができるかどうかはわかりません。
住居が遠ければ、滅多に来れないでしょうし。
さらにお金がかかるとなると、次世代への負債の押し付けですよね。
お墓に関連する商売をしている人は潤うと思いますが…。

またここでお墓の存在意義を考えると、それは亡くなった人の骨を入れておく場所ではなく、残された人が故人に思いを馳せるための場所だと思っています。
お墓に行って、亡くなった人のことを考えながら手を合わせる、そんなイメージです。
よって亡くなる人が必要かどうかではなく、残された人が必要かどうかが重要。

以前、スイスに行った際、現地人と結婚した女性の家に行ったことがあります。
その方の義父(スイス人)のお墓は、教会の敷地内でした。
彼女曰く、あと1週間で別の人が入る、とのこと。
よくよく話を聞いてみると、そこの教会はある一定の期間は専用の場所(お墓)を与えられるが、それ以降は新たに亡くなった人がその場所を使う。
お墓のなくなった人はお墓でお祈りするのではなく教会の中でお祈りする。
日本のお墓文化と比較すると、超合理的だと思いました。

そんな私は数年程前にフリーズドライ葬なるものを聞き、これはいい!と思い妻に相談したのですが、気持ち悪いから嫌だ、言われました。
理由を聞いてみると、なるほど、と。
私のイメージは、凍ったバラのようになって、触ったら粉々になるイメージだったのですが、妻のイメージは、カップラーメンの海老。
そりゃ気持ち悪いわ。

現在の私の望みは、どこか南の海に散骨してもらうこと。
墓参りは(墓はないですが)家族が南の島に遊びにきて、ちょっと間、私のことを思い出しつつ手を合わせる。
あとは遊んで帰る。
家族の同意は得てないですがこんなイメージでいます。
同じお金を使うなら、死んだ私のためでなく家族の未来のために使って欲しいですしね。